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想学談林―管理者のブログ

50代に突入した創価学会の元活動家のブログです。 日蓮や仏教の事について、日々考えていますが、その事についてはこのブログとは別に、「想学談林」というホームページにまとめています。 ここでは日々に考えた事についてつらつらと書き連ねています。

【20180324】いまの日蓮門下の実情

こんにちは(´・ω・`)

今日は土曜日。
最近ではよる年齢なのでしょうか、体重増加を気にし始めていて、極力休日は運動する事にしています。

日常、デスクワークなので運動不足は否めません。
でも時間があればパソコンの前に座り、御書を読み、その他文献を斜め読みして様々な事を思索していまして、子供たちからも「暇があればパソコンの前にいる」と指摘をされる始末。。。

という事で土曜日や日曜日には、時間は短いのですが、運動する事を心がけています。

僕が創価学会の活動を止めて、もう十年以上経過しました。
うちの嫁は現役の婦人部幹部なので、日々独楽鼠の様に活動に動き回っていますが、その檀那の僕は活動には一切携わっていません。

まあ組織幹部が来るたびに、叩ききっていれば、壮年幹部が来ないのも当たり前。

ただ見ていて創価学会の組織活動というのは、本当に人の思考を止めるものだと思います。
また嫁から耳にする話の中でも、様々な問題がある事が解りますが、とうの創価学会の活動家幹部の多くが問題を問題と認識せずに、活動に埋没しているのですから、これはどうしようもありません。

ネットを見ても、創価学会の問題の多くを「原田執行部を中心とする信濃町界隈の悪」だと認識しているのですが、その問題の根っこには池田大作という御大、またその御大を育てた戸田城聖。そもそも創価という名前の組織を作り出した牧口常三郎という存在にあるという事を思考する人はいません。

いや、そもそも大石寺に伝わる日興門流の思想、またそもそも日蓮という鎌倉時代の僧の言動等に目を向ける事は皆無と言っても良いでしょう。

僕は創価学会の問題は、表層的には確かに信濃町界隈の問題だと思いますが、その根底には種種御振舞御書にある以下の言葉。

「法華経の行者をば梵釈左右に侍り日月前後を照し給ふ、かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」

この言葉に少しは思いをはせるべきなのです。
つまるところ、思想の間違いがある事から、創価学会の問題も発生している。これが以前からの僕の考えです。

日蓮は自身を「法華経の行者」と述べました。日蓮自身の確信として「法華経の行者、妙法蓮華経を行じている」という事です。そして立正安国論でもそうですが、「正法」と「悪法」という事について、単純に「正しい=正義」、「悪い事をする=悪」というものではなく、安国論を思索して読むと、「悪法=解釈を読み間違えた法」と捉えるべきなのです。

そこから考えると「あしくうやまはば」とは「間違えて敬ったのであれば」という事にも通じ、日蓮を敬うのであれば、その前提として法華経への理解、また日蓮の信じた内容についての理解がとても大事になってくると考えています。

だから創価学会の様々な問題を感じて、僕自身、活動を止めてからひたすら考えているのは、日蓮はどの様な教えを信じ、どの様な志を持っていたのかという事なのです。

そこから考えて初めて牧口、戸田、池田という創価三代の師弟に関する思想的な問題も浮き彫りになってくるであろうし、そもそもの創価学会の問題点も語る事が出来る。

その様に考えているのです。

Twitterなどで、僕は信濃町界隈や創価学会の組織の問題などについて、呟く事があります。
でもあれは自分の本義ではなく、自分が本来、考えていく事は、創価学会の根底にある思想性の問題であり、そこから翻り自分自身、どの様に生きていくのか、そこを考える事だと思っています。

でも創価学会の現役や元活動家も、法華講の人も、当然ながら顕正会も、そんな視点に立てる人というのは僅かに過ぎません。

日蓮、日蓮、仏法、仏法言う割に、その基本的な事に理解乏しいままで語っている人があまりにも多い事が残念でなりません。

恐らく日蓮が現代に生きていたら、この有様に頭を抱えてしまうのではないでしょうかね??


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