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想学談林―管理者のブログ

50代に突入した創価学会の元活動家のブログです。 日蓮や仏教の事について、日々考えていますが、その事についてはこのブログとは別に、「想学談林」というホームページにまとめています。 ここでは日々に考えた事についてつらつらと書き連ねています。

【20180207】折伏不要、活動不要

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

このブログはある意味で僕が好き勝手に書いている内容なんで、書いている事は体系的に一貫性はあまりありませんので悪しからず。

今日は「折伏」と「学会活動」について書いていきます。

最近でも創価学会では「折伏(しゃくふく)」なんて言葉は使ってるんですかね?

牧口会長や戸田会長の時代には、当たり前の様に使用して、戸田会長時代には「折伏大行進」なんてやってたりしましたよね。

そもそも折伏という言葉ですが、仏教の修行方法の一つとしてあると言われています。
まあ化他行(他人に仏教を教える方法)として述べられ、「摂受」と「折伏」があると言われてます。
法華経において摂受は安楽行品に説かれ、折伏は常不軽品で説かれています。

簡単に説明すれば、摂受とは相手の主張や考え方を認めつつ、仏教へと導く方法と言われており、折伏は絶対的な正しい教えを元に相手を説き伏せ導く方法と言われてます。

僕の青年部時代の折伏も凄かったと思いますが、草創期の折伏はめちゃくちゃな感じだったと聞いています。

僕が会社の知人を折伏した時、その本人は入会も良いかと言ってましたが、その親は大反対。何故なら昔、折伏された時に学会員に相当非常識な言葉を言われ、トラウマになっているとの事。

僕の時代にもそんな事は度々ありましたが、「相手の生命を斬ってやる!これこそが慈悲の行為なんだ!」なんて、担当の幹部の中では半ば暴言吐く人もいました。

友人が余りに非常識な言動に怒って帰ると、そんな幹部は得意気に言ってました。

「どうだ!俺の折伏の切れ味は!」

僕の母親も若い頃に折伏され、相当不愉快な思いをしたとも聞きましたが、そんな母親が何故入会したのか。そこには近所の知人で婦人部の人間性と面倒見の良さがあったからだそうです。

因みにこの母親の知人は、第一次宗門問題の時に脱会。寺に行きましたが、僕の母親は何も変わらない様子で、それ以降もお付き合いを続けてました。

「私の宗教は絶対的に正しい!」

こう思い込み布教するのは構いませんが、そもそも「絶対的に正しい教え」なんて無いのだから、もっと理知的に語り、客観的に物事を見て欲しいものです。

創価学会の折伏なんて、理論的な事はなく、語ると言えば、如何に創価学会という組織が素晴らしいのか、池田名誉会長が素晴らしい指導者なのか、そして自分はこの組織信仰でどれだけ信仰体験をしたのかくらいでしょう。

それで果たして折伏なんですか?

僕が想うに人が信仰を理解して共感するのは、その信仰している本人の日常からの人間性であって、けして囲んで捲し立てて学会の素晴らしさを語り、入会を迫るものではありません。

「法自ら広まらず、人法を弘めるが故に人法共に尊し」

日蓮の言葉はそれを表していますよね。

「いやいや、日蓮大聖人は末法は折伏の時だと言ってるではないか!法華折伏・破権門理とあるではないか!」

そんな人は御書を丁寧に読んでほしいですね。日蓮が折伏といって、法義をもって徹底して責めたのは仏教者に対してであって、在家の人にはそんな事はしていません。

まあ弟子の中には対論した人も居たのでしょうが、当時の社会の宗教事情をよく勘案して考えて欲しいものですね。

日蓮は観心本尊抄において、地涌菩薩の四人の上首が折伏をするときには賢王となり、摂受の時は僧になると述べてます。ここから言えば日蓮は僧なので接受を行じた事になります。
しかし日寛師はここから「法体の折伏」と「化義の折伏」を語りましたが、この論理もよく解りません。

これは多分、日蓮が折伏しか語ってないと思ったから、日寛師が苦肉の論理で作り出した言葉なのかもしれません。

でもこんな言葉を作るから、後世の坊さんなんかは布教をしなくても、寺にいて信徒相手にするだけで「私達は法体の折伏という立場から云々」なんてやってましたよね。

要は本来、法論をしなくてはならない立場の出家僧を、甘やかしてしまう論理にもなってました。

現代は思想も様々、しかも社会の中で仏教は既に形骸化しています。
こんな時代なのに「折伏」なんてやる必要があるのでしょうか?

また会員を拡大する事も広宣流布とは関係ありません。
法華経の本義から言うのであれば、組織的な拡大よりも社会的に情報発信力をつけた方が良いでしょうし、ご利益を求める事を主流にすべきでもありません。

今の時代、広宣流布をするというのであれば、「シンクタンク」的な組織として、無理に組織拡大とか、組織活動に会員を引きずり回す必要もないと思いませんか?

日蓮の仏法を基調にするというのであれば、その波及は社会に対して行うべきであり、そうであれば会員一人ひとりが社会の中でしっかりと根をはる方向で進めるべきです。

でもまあ、信濃町界隈にしたならば、自分たちの食い扶持を稼ぐ原資としての会員が必要なのだから、今の形態を変える事なんてないのでしょうね。

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