忍者ブログ

想学談林―管理者のブログ

50代に突入した創価学会の元活動家のブログです。 日蓮や仏教の事について、日々考えていますが、その事についてはこのブログとは別に、「想学談林」というホームページにまとめています。 ここでは日々に考えた事についてつらつらと書き連ねています。

【20180110】創価学会の間違い

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

ネットではよく「牧口会長や戸田会長は時の軍部政府と戦い、獄死した」という事を述べ、賛美する人が良く居ます。

確かに己が信仰に命を懸け、その主張を曲げずに、特別高等警察から数々の拷問を受ける中、不退転で考え方を主張し、それにより老矩を衰弱させ、獄死に至ったという事実、これを忘れてはいけません。

しかしそれと同時に、初代と二代会長は、そこで何を主張し、国家に対してどの様な事を考えていたのか、そこを無視して獄死や投獄の事実だけを評価するのは、正しい歴史の理解では無いでしょう。

初代や二代が何を主張してきたのか、それを理解するには以下の尋問調書が良い参考文献になります。

https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/blank-92想学談林ー特高尋問調書

同様な資料は法華講、妙観講関連のサイトに良く取り上げられていますが、創価学会の関係サイトには一切取り上げられもしていません。

僕も過去に広宣部でこの資料は見ていましたが、その当時の表向きスタンスは、「そんな資料は知らない」というものでした。

何故ならば創価学会にとって、都合が悪い内容であったからであり、そこを認めてしまうと対論そのものが成り立たなくなってしまう、というか創価学会として勝つ事が出来なくなります。

さりとて内容は否定できないので、本当の処はどうなのかと言えば「時代に依って変わったのだ」という理解でした。

しかしこれにしても、例えば「日顕対座要求書」の別冊で語られていた第一次宗門問題で、当時の最高幹部から御大が謝罪の要求を飲むように言われたさい「時流とは如何なるモノか!」と、時の幹部を戒めている言葉に相反する事です。

要は創価学会としては、既に論理的な破綻を起こしていたと思うのですが、どうなんでしょう。

では牧口会長は当時、どの様な主張をしていたのか、ここで少し紹介してみましょう。

■特高尋問調書の内容
【検事・問】創価教育学会の指導理念及目的は。

【牧口・答】創価教育学会の目的は規約要項第二条に、本会は日蓮正宗に伝はる無上最大の生活法たる三大秘法に基き教育、宗教、生活法の革新を図り忠孝の大道を明らかにし以て国家及び国民の幸福を進めるを目的とす、と書示して置きました。


ここでは特高警察の尋問で、創価教育学会の内容について問われた事について回答しています。

ここで牧口会長は、日蓮正宗に伝わる三大秘法に基づき、教育や宗教、また信徒の生活の改革を図ることで国や国民の幸福を進める事だと述べています。
「忠孝の大道」というのは、明治時代の人の気質からの言葉なので、ここでは特にそこを取り上げたりはしません。

まず考えるべき点は、この当時の日蓮正宗も神札を受けるなど、その護持しているという「日蓮仏法」とは遺背した姿でしたが、牧口会長はけして弘安二年の大本尊に対して「謗法の地にあるから授持の対象とはしない!」等とは言ってません。

根本寺院が謗法であろうが、なかろうがそこにある「三大秘法に基づき」と言い切ってるのです。

今の創価学会の主張が正しければ、まずはこの特高尋問調書にある牧口会長の言動についても、しっかりと整合性を持つために、論究をすべきでしょう。

しかし、もし牧口会長の思想に対して、違うと言うのであれば、当然、その事についても論究した上で、「永遠の指導者」に列する事も再検討が必要かと思います。

それともまさか特高尋問調書が歴史的に捏造されたというのでしょうか?

この調書は、公立図書館にいけば借りることも出来ますので、そもそも自団体の歴史を消し去るという事も出来ないでしょう。

ここで誤解して欲しくないのですが、だからと言って、僕が大本尊を大石寺の主張通りに認めているという事ではありません。

要は論理的に創価学会の歴史が破綻していると言いたいのです。

創価学会は過去にその様な「文証、理証、現証」と言うことを声高に述べ、日本国内の他宗教をぶったぎって来たんですから、ある意味、自分達も教義的な胸襟を糺さなければならないと思っています。

ましてや「永遠の指導者」に列する人の命懸けの言葉なんですから、しっかりと向き合わなくてはならないでしょう。

「私の価値論は日蓮正宗の本尊に帰依すること、具体的には創価教育学会に入会する事に依って、本会の信仰が人生生活と如何に関係が大きいか、価値が大きいかを判定認識せしむるのが指導理念でありまして、人生生活の全体主義的目的観を確然と把握せしめ、本尊の信仰に依る異体同心、共存共栄の生活を体得実証せしむるにあるのであります。」

日蓮の生涯とは「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」と言われてますが、牧口会長はここで「共存共栄の生活を体得実証せしむる」と述べている様に、要は文字曼荼羅に祈って実際の生活の向上を実感させる事を主眼としています。

各人の生活向上が仏法の本義では無いでしょう。この矛盾が現代にも尾を引いてませんか?

よく組織の中で活動する人達は「僕の祈りが叶わない」とか「私の願いが叶わない」で右往左往しているではありませんか。

この考え方の発端は紛れもなく価値論にあるわけですね。いや、正確に言えば創価教育学会の価値論ではなく、戸田会長が「訂補版」として戦後の会員に知らしめた価値論が問題では無いでしょうか。

入会させるために「ご利益」の大きさを示し、入会後にそこから進化させる様な指導すら存在しなければ、結果、創価学会の活動家の大半が「現世ご利益」ばかりを追うことになり、その考え方を広める事を「広宣流布」と誤解してしまうのも、無理がありませんね。

この牧口会長の尋問調書をもとにした話は、もう少し続けたいと思います。

拍手[18回]

PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

プロフィール

HN:
運ちゃん
性別:
非公開

カレンダー

10 2018/11 12
S M T W T F S
3
4 5 6 9 10
12 13 15 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

忍者カウンター

P R

ブログ内検索