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想学談林―管理者のブログ

50代に突入した創価学会の元活動家のブログです。 日蓮や仏教の事について、日々考えていますが、その事についてはこのブログとは別に、「想学談林」というホームページにまとめています。 ここでは日々に考えた事についてつらつらと書き連ねています。

【20180807】広宣流布観を見直せ

こんにちは(´・ω・`)

また台風が近づいて来てますね。
今日は暦の上では「立秋」だそうですが、まだまだ暑い日が続く事なのでしょう。
先日、職場の人と「秋刀魚」の話をしたのですが、最近の秋刀魚は小振りだといい、その割りに値段が高いとも。
気候の変動と共に、様々なモノも変化してきているように思いますよ。

さて本題です。
創価学会もそうですが、法華講の人達も「令法久住」とか「広宣流布」という言葉がとても大好物ですね。

日蓮は以下の様に述べていました。

「法華折伏破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし天下万民諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり。」
(如説修行抄)



日蓮は世の中に法華経を弘め、仏教の中心に法華経を据えて、社会が法華経一宗派となりお題目を唱える様になると、この世界は理想的は平和な社会になると言いましたよね。

創価学会もそうですが、法華講の人達も心の奥底でその様に望んでいる事なのでしょう。そして強勢拡大に躍起となり、互いに「邪宗」と罵り合っていたりもするのかと思います。

しかし昨今の日本社会の問題を、代表的な事柄ついて列挙をしてみます。

 ◆少子高齢化による労働力の不足
 ◆憲法改正問題
 ◆経済格差の広がる社会
 ◆天災(水害・地震等)に脆弱な社会システム
 ◆福島第一原発事故の収束時期が一向に見えない

果たしてこういった問題が、単純に創価学会や日蓮正宗が拡大する事でおさまると言うのでしょうか。僕はそう思いませんけどね。

例えば少子高齢化による労働力の不足。
この背景には経済的な問題が隠れています。子供を産み育て、一人前に育てるためには多くの費用が必要になります。しかし昨今の社会では、仕事をしていても、それだけの収入を確保する事が困難となりはじめています。
以前にも書いた事ですが、知人の女性が産休明けに復帰した時に言っていたのですが、子供を預けて仕事をするためには保育園に入れなくてはならないが、その知人の女性の収入の大半が保育園に消えているそうです。その為に保育園に預ける為に働いているのか、何のために働いているのかわからないとぼやいていました。

憲法改正問題に関して言えば、国家という概念がとても大事になります。
しかし国家という概念は宗教だけで語る事は出来ません。

また先の話にもつながりますが、経済格差が広がる社会。これは国の経済状況も関係してきます。
しかも昨今の国際社会を見ると、この経済状況は単に一国内に問題が収まる状況ではありません。冷静に考えてみてください。

グローバル化が進んでいますから、一国でどうこうなる事でもありません。

また人々は平和を願います。平和の対極にあるのは社会の混乱であり、最たるものは戦争でもありますね。しかしこの事については国の経済が深くかかわってきます。

戦争というのは国家が行います。そして国家が戦争を行う背景には政治が関与します。
政治は何で動くかと言えば経済で動きます。

そして現代社会の経済はというと、既に国家が制御できる範疇ではありません。

何故国家が制御できないかと言えば、皆さんの日常生活を観れば解るでしょう。

経済の動向はインターネットを介して既に国境の無い世界で決まっています。
国境が無いという事は国家の統制の枠外にあるという事であり、国が制御できる範疇を超えている事なのです。

政治は経済で動きますが、その経済が国家で統制出来ない以上、戦争行為も国家で統制が出来ない社会になってきていると言っても過言では無いのです。

この様に現代社会の抱える問題は、多岐に亘る様々な事象が関係してきます。

そういう人類社会の中にあって、律令国家が形式化して武家社会の始まった頃の日本の中で勃興した鎌倉仏教の形式を後生大事に伝えても、それが果たしてなんの役に立ちますか?

正直言って、そのままでは何ら役に立やしませんよ。

それなのに「法主に伝わる血脈」とか「創価三代師弟の血脈」という事に、まるでオカルトチックな不可思議な力を求め、そこに解決を求めた処で一体何の役に立ちますかね?

そんな形骸化した「令法久住」とか「広宣流布」なんてものに、僕はなにも期待すらしてませんし、だからこそ興味すらないのです。

むしろ大事な事としては、その鎌倉時代の仏教を含めつつ、新たな視点を模索する時代に入った事を一人ひとりが理解して、己の立場で思索を続け、目の前の様々な問題に対処するという事なのではないでしょうか。

また宗教の役割としては、そういった人達の意識的な変革かもしれません。

単なる一宗一派一教団が拡大する事で、問題が解決するほど今の世界は単純では無いわいね。従来の宗門が語っていた広宣流布の枠内で理解する事は不可能じゃ。そこをまずは理解すべき。

これは先日、Twitterで呟いた言葉ですが、それは、こういう事を考えた時に僕が考えた事なのです。

単に教条的に宗教を捉え、そこの枠内にはまるだけで、何の意味があるのでしょうか。
そう考えた時、単なる従来の「広宣流布」という観点を見直しする必要があるのではありませんか?

本日はここまでとします。


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