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想学談林―管理者のブログ

50代に突入した創価学会の元活動家のブログです。 日蓮や仏教の事について、日々考えていますが、その事についてはこのブログとは別に、「想学談林」というホームページにまとめています。 ここでは日々に考えた事についてつらつらと書き連ねています。

【20180707】いまの日本に善神はいるか

こんにちは( *・ω・)ノ

早くも、そしてやっと土曜日。

しかしこの天気、梅雨は明けたんじゃ無かったんか?そんな事をついつい考えてしまう陽気だと思いませんかね?

普通、台風が過ぎたら台風一過の陽気になるはずが、何故に梅雨に逆戻りしたような陽気なのでしょうかね?

あと最近思うのは、変な事件も多いし、電車通勤していると、いやに人身事故が目についたり。一体ぜんたいどんな事になっているのか、ついつい考えたりしています。

「日蓮大聖人様は立正安国論で仰っているとおり、正法が穏没しているから、こんな社会なんだ!」
「だから信濃町界隈を責めなければならない!」
「だから日顕宗を撲滅しなければならない!」

なーんて話があちらこちらで交わされているのかもしれませんね。

僕の観点は全く違いますが、そう信じたい人は沢山居るのではないですか?

所謂「日蓮門下」を自称する人達の中には。

僕はそもそも「正しい法」を広めなければ、社会は衰退するなんて信じていません。

昔は信じてましたよ、創価学会で活動家幹部をしていた頃は。
でも実際にはそんな単純な話では無いでしょう。

今の社会は確かにどこか、主軸がずれています。仏教でいう「諸法実相」という考え方からすれば、社会の基軸となる思想が狂っているのは間違いないと思いますよ。

だって本来、人間社会の目的とは「相互扶助」であるはずが、今の社会は「人間利用」が主軸になってますよね。

形として「市場原理主義」にこれだけ大きく傾けば、人は目的とはならず、手段としてしか認識されないでしょう。

日本だけではなく、今の世界の多くは資本主義・自由経済の社会であれば、人は資本のための「手段」としてしか認識されなくなってきてますよね。

よくよく社会の中を見てみれば、そこかしこに、そんな兆候が見てとれます。

人は常に「手段」として扱われる社会が、果たしてマトモな社会と言えるのでしょうか。

そこが狂っているから、現れてくる社会の形も歪な姿を表しているのではないですか?

そんなもん「ゲキョゲキョ」題目だけ唱えていても、変わりはしませんし、思想無き選挙に奔走しても、変わるわけがありません。

当たり前の話です。

本来、創価学会の唱えていた「広宣流布」とは、そういう社会に対する思想戦であり言論戦であったと思いますが、いざ蓋を開けてみたら、単なる陣取り合戦ばかりやって、そこには何ら思想の「し」の字もありません。

これじゃあねー、どーにもならんでしょう。

しかも一生懸命「広宣流布」を唱える人の多くが、たんなる人寄せパンダの様な指導者を崇め奉り、恋慕ばかりしているんですから、話にもならない。

日蓮は「神天上の法門」とやらを言い、どうしようも無い国は、諸天善神が捨て去り、そのあとには悪鬼が国に入り込み、国を乱すと言ってました。

またその日蓮は、諸天善神は法華経の行者の頭の中にすむとも言ってましたよね。

この意味について考えた事ありますか?

これは諸天善神と言っても人々の「頭の中=心の中」に本来いるはずであり、「神天上」とはそんな諸天善神が心の中に居なくなる事なのではありませんかね?

そしてその抜けた心に「悪鬼」が入り込む。そういう事だと僕は考えているんですけどね。

「人を手段とする=資本の為に利用する」というのは、その悪鬼の心そのままではありませんか。

だから諸天善神に法味を送るとは、人々の心の中に、正しい認識ができる考え方を送るという事なのではないかと思うのですが、創価学会が人々の心に一体何を送ったというのでしょうか。

よくよく思案してほしい事ですね。

ゲキョゲキョやって会合に出て、自分の願望を祈祷して、その祈祷の一環として選挙をやらせる。

これで諸天善神が居るようになるとは思えません。結果として「神天上」になってしまっているのでは?

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