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想学談林―管理者のブログ

50代に突入した創価学会の元活動家のブログです。 日蓮や仏教の事について、日々考えていますが、その事についてはこのブログとは別に、「想学談林」というホームページにまとめています。 ここでは日々に考えた事についてつらつらと書き連ねています。

【20180517】日蓮門下の言動の悪さ

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

「公場にして理運の法門申し候へばとて雑言強言自讃気なる体人目に見すべからず浅ましき事なるべし、弥身口意を調え謹んで主人に向うべし主人に向うべし。」
(教行証御書)


これは日蓮が門弟の三位房に与えたお手紙ですが、日蓮宗や特に大石寺に関係した人達の言動の荒さは一体どこから来るのか、少し考えたいと思い、今回は記事にしました。

日蓮の御書や伝えられた逸話を聞くと、確かに日蓮の言葉は乱暴な箇所もあり、喩えも今の時代にみたら、こりゃ人権上問題になるんでないの?

そんな言葉は多々あります。

「糞を集めて栴檀となせども焼く時は但糞の香なり大妄語を集めて仏とがうすとも但無間大城なり」
(報恩抄)

「答えて云く私の言を出すべからず経釈の明鏡を出して謗法の醜面をうかべ其の失をみせしめん生盲(めくら)は力をよばず、」
(開目抄)

「水浄けれども糞の入りたる器の水をば用ゆる事なし」
(秋元殿御返事)

総じて日蓮の言葉は粗く見られますが、多くは当時の宗教者や為政者に対してであり、門信徒に対して暴言を吐いたというモノはありません。

これを理解するには当時の日蓮が置かれている状況を加味する必要があり、日蓮は建長五年に立教開宗してより、弘安五年に亡くなるまで、常に刃の下に生きていた人なので、やはり言葉も強くなったのでしょう。

御書と呼ばれる遺文集には、その様な言葉が多くあることから、やはりそれを信じる人達の傾向として、そういう事もあるのかと考えたりします。

「今既に日蓮師の恩を報ず定めて仏神納受し給はんか、各各此の由を道善房に申し聞かせ給ふべし、仮令強言なれども人をたすくれば実語�語なるべし」
(善無畏三蔵抄)


創価学会が特に好きなこの御文。
これは罵詈雑言をしても、その人を助けるのであれば、それは真実の言葉なのだという意味と多くは理解している様ですが、勘違いしてはいけないのが、これは罵詈雑言を許容している言葉ではないのです。

この御書の文脈を見るに、ここでいう強言とは、相手を否定する内容の言葉を指すことであり、けして罵詈雑言の事ではないのは明白な事です。

この違いについて、考えてみたことありますか?

相手の考えを否定する言葉、要は相手の耳に逆らう言葉の事をここで「強い言葉=強言」と呼んでいる訳です。

日蓮は常に経文や釈、また様々な文献を提示しており、自身の言質には常に裏付けを持ち、発言していました。

「法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頚を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難風の前の塵なるべし」
(開目抄)


佐渡の地で認めた遺言状とも言える開目抄に、この様に言われているのも、そういう事からですね。

つまり論理性を持ち、その上で相手が否定する内容であったとしても、それは言わなければならない。

それを強言といい、日蓮の言動の姿勢は、常にその様な姿勢でした。

しかし昨今の創価学会や法華講等の発言を見ると、ただ相手を否定し、さも自分の自説(これが果たして有るのか自体、謎ですが)が正しいと見せるために、相手をこき下ろし、その様に見せようとする姿勢や言動を「強言」と勘違いをしていますよね。

創価学会に至っては「仏敵を許すな!」「罵詈雑言であっても正しい言葉は慈悲なのだ!」なんて言いますが、そもそも自分達の言葉が正しいのか間違いなのかすら考えてもおらず、多くは受け売りの言葉をオウム返しの様にのべ、都合が悪くなると相手をひたすら罵ります。

これ、法華講も同じですが、考えてみたらその様な発言をする法華講員の多くは、元・創価学会員が多くいますので、やはり創価学会が原因なのかもしれません。

以前に僕は広宣部にいた頃、そこでは「模擬対論」という事をよくやりました。
そこでは自身の論理性に自身の無いメンバーは、得てして相手をこき下ろして逃げる姿勢を多く見てきました。

僕の相手がそんな姿勢で来たときには、僕は相手の言葉を完全にオウム返しで返した事がありますが、多くは逆に悔し涙を流しました。

人は想いを伝えるのに、言葉と文字を使わなければなりません。

そうであれば、もっと巧みに使えるような訓練も必要なのですが、多くの「日蓮門下」「日蓮の正統」を云う人達は、この訓練が為されてません。

これは残念な事ですね。

そういう人達が日蓮を信じ、自らの信仰が「日蓮仏法だ」なんていうから、日蓮の残した教説も多くの人には誤解されているという事、これは有ると思いますが、どうでしょうか。

特にネットの世界はオープンな世界です。
しかもみな意識をしてないと思いますが、一旦、ネットで公開したら、その言葉を完全に消すことは不可能です。

「公場にして理運の法門申し候へばとて雑言強言自讃気なる体人目に見すべからず」という日蓮の言葉を、是非とも噛み締めて欲しいものですね。

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