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想学談林―管理者のブログ

50代に突入した創価学会の元活動家のブログです。 日蓮や仏教の事について、日々考えていますが、その事についてはこのブログとは別に、「想学談林」というホームページにまとめています。 ここでは日々に考えた事についてつらつらと書き連ねています。

【20180413】言葉の足りなさ、文字の不完全さ

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

仕事は何とかやってますが、ようやく昨日から開目抄に取りかかり始めました。
でもやはり三十代や四十代の様に、夜遅くまで時間を取るという事、体が許してくれません。
あの青年部時代のバイタリティーはどこへやら(遠い目、、、)と思います。

さて本題です。
以前に僕が仕事の営業をしていて、ある小さなソフト会社の社長と懇談した時、その社長は「技術の継承」や「業務の伝達」という事で、興味深い事を語ってました。

人間の思考とは「四次元」だと言います。
これは三次元(空間)と時間の軸がある事をいい、人はその観点で物事を考えます。

確かにこれはそうですね、生活は平面ではなく立体の空間で生きていて、時間の推移は意識しなくてはなりません。

一方、人が他人に物事を伝達するのは「二次元」でしか出来ない。これは言葉もそうですし、文字情報もテキストで、ある意味、二次元情報です。

例えば僕のIT業界では様々な書類が飛び交いますが、これらは基本的に二次元の情報なんですよね。

そうすると人の間のコミュニケーションというのには、どうしても齟齬が発生してしまいます。これは伝達する媒体の性質上、致し方ないことかもしれません。

大事なのは、この二次元の媒体を介して、如何に正確に情報を伝達出来るかであり、そこには書類や言葉の背景を理解する能力が必要となり、それを総じて「コミュニケーション能力」と言う事だというのです。

この話を聞いたときに思い出したのが、禅宗にある言葉の「教外別伝・不立文字」という言葉でした。

要は経典とは悟りを示すものであり、その悟りを理解したなら、経典は要らない。という言葉ですね。

これはかなり大雑把な言葉ですが、ある意味で文字や言葉というのは、知って欲しいこと、理解すべき事に相手を導く媒体なんですよね。

それで如何にそれを知らしめるか、その為に様々な比喩や例えの言葉を引用するわけです。

それで互いに共通の事を理解できれば良いのですが、そこがずれると「同床異夢」、要は同じ処にいながらも、実は異なる理解のままで進んでしまうという事が起きてしまいます。

先の禅宗の言葉の対局にあるのが、文証などに拘りを持つ教条主義なのかもしれません。教条主義では、文字面に固執するあまり、現実とも受け入れられない解釈を強制したり、実行してしまいます。

この「同床異夢」を避けるために、何が重要なのか。それは「本義」とも呼びますが、それぞれは「何を目的として、何のために」という事を、まずは共通理解として構築出来るかなんですね。

そこにかなりの労力を使い、その後に文字や言葉による伝達が可能になるのかと思います。

思うに創価学会の中の教えというのは、この「共通理解」を軽んじてしまった結果、あちらこちらで「同床異夢」が発生したのかもしれませんし、そもそも他人が共通の理解になるというのは、とても大変な事なのかもしれません。

また仏教を語るにしても、やはり同様な事というのは発生しますし、そこは互いに議論を尽くしていくしかありません。

だから「対話」というのが、人間にとって、とても大事な事なのでしょう。

しかし人類という枠組みでは、この言葉も異なりますし、その言葉の成立した背景の文化も異なるから、なおさらややこしい。

ほんと、物事を正確に伝達するというのは、とても難しい事ですね。

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