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想学談林―管理者のブログ

50代に突入した創価学会の元活動家のブログです。 日蓮や仏教の事について、日々考えていますが、その事についてはこのブログとは別に、「想学談林」というホームページにまとめています。 ここでは日々に考えた事についてつらつらと書き連ねています。

【20180808】当体義抄から考える①

こんにちは( *・ω・)ノ

今日は台風の接近に伴い、雨風があります。
何やら今回の台風は、速度が遅いらしく、今夜半あたりから大荒れになるとの事。
関東方面に接近するとありましたが、何とか無事に過ぎ去って行ってくれる事を祈るばかりです。

さて本題です。
創価学会ではよく「人間主義」という言葉が使われています。また「平和主義」ということも良く使ったりしますよね。



例えば牧口会長は「平和と人権の闘志」という事で、創価学会がアジアで弘教を進める際に、この言葉は役に立ったようです。

特に軍部政府から睨まれ当時の幹部が投獄、初代会長が獄死、二代会長も命の危険に晒されたという事は、アジアの中で当時の日本帝国主義に泣かされた人達の中では、大きな免罪符になりました。

でも実際にこの牧口会長が「平和と人権の闘志」であり、平和の為に殉教したのかと言えば、そこにはグレーな部分も存在する訳ですね。

だから創価大学の宮田教授が、長野赤化教員を創価教育学会としてオルグ(受け入れと更正)した事の扱いを、当時、野崎勲副会長に確認した処、この事は封印する事になった思われます。

この辺りの事は宮田教授が自身のホームページで明かしていますので、参照してみて下さい。

つまる処、創価学会の原点でもある牧口会長の殉教、戸田会長の投獄というのは、脚色された出来事と言っても良いのかと思います。

獄死や投獄は事実ですが、その奥底にある真実は、今の創価学会が主張している事とは違う可能性があるわけですからね。

それと同じように思うのは、創価学会が主張している人間主義、これについても再考が必要なのでは無いかという事です。

その事について、ここでは当体義抄を元に、少し考察をしてみたいと思います。

1、人間は尊極な存在か
法華経(妙法蓮華経)では何を明かしていたのか、まずはそこから思索をスタートします。

端的に言えば、法華経以前では「二乗(学者)は成仏出来ない」という事、また仏とは目指すべき境地であり、その為にはしっかりと修行に励み、長い時間に渡って繰り返し修行する先に「悟り」を得て到達するという考え方でした。

そこでは仏と衆生は異なる存在であり、片や煩悩に苦しみ、片や煩悩を絶ちきり悟りを得たという、明確な差別がありました。

しかし法華経に於いて明かされた事は、人々は元来から仏であり、生々世々に生まれては、法を求め菩薩として道を求め生きているという事でした。

つまり「仏とは求める到達点ではなく、自分自身の本来のあるべき姿である」という大転換だったのです。

この「人々は元来から仏である」という事から、人々は「尊極な命(仏性)を持つ存在」となり、故に人間は尊厳な存在として扱われるべきなのである。

これが創価学会の主張する「人間主義」の原点にあると思います。

ここで話を進める前に、僕の立ち位置を明確にしておきます。

僕は人間を否定しませんし、否定してはいけない存在だと考えています。またその人権は何にもまして尊重されるべき事ですし、それはけして組織や集団で扱われるものでもなく、一人ひとりの人間が持つ権利は、必ず保障されるべきモノだと考えています。
その上で少し、思考の範囲を広げて考えていくと、この地球という星に住む人類とは、果たしてどの様な存在なのか。そこを考えてみたいと思います。

昨今では基本的人権には「環境権」を新たな権利として組み入れてはどうかという話も出てきています。

この環境権とは「人々は良好な環境の中で生活を営む権利のことを指す。」という事ですが、果たして人間が良好と言う環境が、他の生物などにとっても良好な環境となりえるのか、またそれが地球環境の維持(この場合には生物が生きていける地球環境という観点からです)につながるのでしょうか。

僕はここに少し懐疑的な処があります。

もし人類が、他の生物種と地球環境の上で共存するという観点に立った場合、今の時代に言われる環境権を入れた「人権」というのは見直しを図らなければならなくなるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

今の人類社会では、人がいきる際に周囲の環境に与える影響は、けして小さなものではありません。かなり甚大な影響を与えていると思います。

つまる処、人間の考える環境権、またそれを含んだ「人権」という事を考えると、生態系を含めた地球環境にとって、有益という事にはなり得ないでしょう。

またこの人類の総人口は、現在、七十憶人を突破して、未だに増加を続けています。このまま人口が無作為に増加をすれば、より地球環境に与える負荷が大きくなり、加速度的に環境が破壊されていくのは自明の理ではないでしょうか。

確かに人は尊極な存在かもしれませんが、私たちが生活する環境、また生態系全般を考えた時に、単に御題目の様に「人間主義」を唱えていても、何れ地球環境は破局を迎えてしまう危険性があるのでは無いかと危惧を覚えます。

ではどの様にしたら良いのか。
そこには人間という存在を、しっかりと人類自体が掌握する必要があると、僕は考えているのです。

長文となるので、本日はここまでとして、もう少し続けます。

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