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想学談林―管理者のブログ

50代に突入した創価学会の元活動家のブログです。 日蓮や仏教の事について、日々考えていますが、その事についてはこのブログとは別に、「想学談林」というホームページにまとめています。 ここでは日々に考えた事についてつらつらと書き連ねています。

【20180605】法華経と日蓮⑥

こんにちは( *・ω・)ノ

昨日は観心と祈願の祈りについて書きました。日蓮の顕した文字曼荼羅は観心の本尊であって、祈願の本尊ではない。
僕はいま観心本尊抄を読み進めていますが、そこではその事を感じています。

さて今回はこの法華経という事について書いて行きたいと思います。

日蓮は立正安国論では法華経が最重要だとして、その法華経を「捨閉閣倣」と述べた法然の選択集をとりあげ、法然房源空の説いた念仏宗こそ、一凶であると指弾しました。

また開目抄では天台大師の一念三千こそが、法華経の文底に秘沈された教えであり、日蓮はその一念三千が説かれている仏教の最高の教えである法華経を行じる立場だと表明。

観心本尊抄では天台大師の一念三千こそが最重要であり、その一念三千を観心する本尊について語りました。

日蓮は一貫して法華経こそが釈迦の直説であり仏の真実の教えとし、天台大師はそこから一念三千を取り出し、伝教大師は日本で法華経を中心とした戒壇堂を建立。自身を含めて「三国四師」と述べてもいます。

日蓮が生きていたのは鎌倉時代。
当時はシルクロードの研究も成されていなければ、仏教全般に関しても学術的な研究は一切されていません。

法華経は釈尊の直説であり、真実の教えである。

これは当時の理解として、当たり前であり疑う余地は無かったと思います。

その毎について、今回は記事にしてみたいと思います。

仏教の開祖である釈迦は、紀元前600年~400年頃に、インドに生誕したと言います。これについては諸説あって、未だに確定した事はわかっていません。
伝説では釈迦は、八十歳まで生きて亡くなりましたが、その後、弟子の迦葉が中心となり、第一回の仏典結集を行いました。

これは釈迦の説いた教えを後世に伝えるために、大事な事でした。

しかし釈迦が亡くなり百年後あたりから、その残した教えについて、様々な解釈の違いから部派仏教へと分派していきました。

そして釈迦が亡くなり五百年ほど経過した時、この仏教の中で大乗仏教が勃興したと言われています。
大乗仏教は部派仏教の中にも萌芽があったようで、単純に分類は難しいといいますが、そこにあったのは当時の仏教が、学者的な僧侶を中心としていて、在家信徒の求める信仰とはかけ離れた形になっていたという事も要因になっていた様です。

またジャータカ伝説という、言わば釈迦の過去世に関する様々な仏教説話を元に、在家であっても修行することで仏に成れるという思想が出来てきたと言います。

そんな中で大乗仏教は成立しました。

またこれは一つの学説ですが、仏教に触れ、釈迦に会いたいと恋慕する人達がいて、瞑想の中で釈迦と語り合い、その内容が散文的に残され、それが後世になって整理されて、法華経が成立したという説があります。

ともかく西暦百年頃に、大乗仏教の最高経典として、法華経は成立したと言います。

当初の法華経には、提婆達多品はなく、これは後世に付加されたという説がありますが、確かに興味深いのですが、妙法蓮華経の全体の流れの中でも、竜女の成仏や悪人成仏というのは、唐突感がある内容です。

また細かい所も、原初の法華経と、後の妙法蓮華経では構成などが微妙に異なってきます。

ここから考えると、やはり法華経というのは後世に成立したものと考えるのが妥当であり、釈迦の説いた教えの中にエッセンスはあったのかもしれませんが、釈迦の直説では無いというのが、妥当なのかもしれません。

この法華経はチベット仏教にも影響を与えた痕跡もある事から、やはり大乗仏教の最高経典としては、広く学ばれたようです。

この法華経は三人の訳者により中国に伝播しました。

一人は「竺法護」による「正法華経」、もう一つはご存じ鳩摩羅什による「妙法蓮華経」、あと闍那崛多・達磨笈多共による「添品妙法蓮華経」です。
この中で漢訳が正確で解りやすいという事から、鳩摩羅什の妙法蓮華経が一番引用され、参考として正法華経が使われているようです。

しかし、もともとがインドで成文化した法華経は、梵字(サンスクリット文字)で記述されていたのですが、これを漢訳する際に、中国の思想が混入した可能性もあります。何故ならば文字や言葉というのは文化が背景にあり、訳す場合にはその文化の影響というのは、多少なりとも受けてしまうことは否めません。

またこの法華経ですが、最高真実の経典として「法華三部経」の構成で、開経として無量義経が置かれていて、そこで「四十余年・未顕真実」という一文があり、釈尊の一代化導のうち、法華経以前の経典は「真実ではない」とされていますが、この構成は法華経に元々あった訳ではなく、天台大師の考案によって構成されました。

無量義経を法華経の開経と位置付けしたのは天台大師なのです。

もともと無量義経にはサンスクリット語の原典は存在しておらず、曇摩伽陀耶舎(どんまかたやしゃ)という僧が、漢訳した経典を所持していたものと言われているもので、それを天台大師が開経として位置付けしたのです。

そういう事をつらつらと考えてみると、法華経とは大乗仏教の中で、自然発生的に成文化しましたが、日蓮が解釈している法華経観というのは、釈尊直説というよりも、やはり中国の「小釈迦」と呼ばれた天台大師の構成したものと考えるのが、もっとも妥当なのかもしれません。

という事で、まだまだ続けます。

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