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想学談林―管理者のブログ

50代に突入した創価学会の元活動家のブログです。 日蓮や仏教の事について、日々考えていますが、その事についてはこのブログとは別に、「想学談林」というホームページにまとめています。 ここでは日々に考えた事についてつらつらと書き連ねています。

【20180323】業(カルマ)の視点

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今日で今週も終わりですね。
毎度の事ではありますが、来週をもって三月も終了、間もなく四月になります。

そんな中、僕は今年に入ってもトラブル対応が業務の中心で、結構日々テンパってます。

お客が居ることですからね。
隣の主任の要に、年中遅刻して、会社に来たら殆どの時間、ネットサーフィンで、たまに静かだと思うと居眠りしている。

そのくせ一番残業時間も多いのですから、大したものです。本当の「サラリーマン勝ち組」というのは、この様な人を言うのでしょう。

僕はそんな事は出来ませんから。

さてそれはともかく、今日の本題。
日蓮の開目抄を読んでみると、今の時代では有り得ない差別発言が多いことに驚きます。鎌倉時代なので、人権なんて意識がある時代ではないので、当たり前なのですが、この言葉の粗さも実は創価学会の中には悪影響を及ぼしているのではないですかね?

釈迦が説いた仏教とは、いわゆるバラモン教的な因果応報論や輪廻観、そして宿業観というのを否定していたのではないかと思うのですが、日蓮の御書には思いっきりそんな宿業論がありますよね。

過去に法華経を誹謗したから口が曲がるとか、目が見えなくなる。過去に泥棒であれば貧家に生まれ、法華経の行者を誹謗すれば邪見の家に生まれる。などなど。

昨日に紹介したJ・L・ホイットン氏の著書「輪廻転生ー驚くべき現代の神話」ですが、ここではアメリカの臨床精神科医が前世療法の手順を間違えた事から、仏教でいう「中有―死んでから生まれる間での期間」に被験者を催眠誘導してしまった事から始まり、そこの多くの臨床例から、様々な死後と誕生前に関わる事を考察したものです。

そこでは人が生まれる目的や理由なども考察されていますが、カルマ(宿業)についても面白い理論が作り上げられていました。

それは例えば泥棒であった記憶を持つ人が、次の生で貧家に生まれるというケースは、必ずしも当てはまらないという事。また同様に人を殺したという記憶のある人が、次に殺される側に回るわけでもないと言う事でした。

そこには泥棒や殺人を起こしてしまう根本的な問題、欲しくなると我慢が出来ないとか、直ぐに感情的になり暴発すると言う事が、どれだけ相手や周囲に負の影響を与えるのか等、自分の負の性質を理解して、自ら矯正出来る場を選択してくると言うのです。

そして選択した事が、この世界の人生の上で、様々な苦悩を引き起こす「カルマ(業)」となるという事です。

仏教的に言えば「願兼於業」に近い感じですね。何故ならこの死後から次の生の間には、そういった苦悩も何もない期間であり、そこでは多くの人が云うには「全てを理解できる状態であった」と語るのですから。

仏教でいう「願兼於業」とは、本来業など持ち合わせない菩薩が、法を広め人々を救済するために、会えて重い業を背負って生まれてくることを言います。

これ、結構似てませんか?

僕が興味深かったのは、そういう仏教の思想を知らないアメリカの臨床精神科医が、自分の研究の先の結論として、この仏教の思想に近い事を語っていると言うことです。

また中有をチベット仏教では「バルト(川の中洲の意味)」と呼んでますが、この著書では死後から次の生の間を「バルト」と呼んでいます。それはチベット仏教の概念に、研究の結果が指し示す内容が近いからなんですね。

考えてみれば、日蓮が御書の随所に引用している業因業果の思想。これは当時の仏教界の中では常識だったのかもしれませんが、今の時代にはそぐいません。むしろ人々を様々な事に縛り付けてしまう言葉になってしまいます。

このあたり、そろそろ変えなきゃいけないはずなんですけどね。

その為にも、最近の様々な思想を研究し、そこから仏教の視点を考え直す必要もあると、僕は思ってます。

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