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想学談林―管理者のブログ

50代に突入した創価学会の元活動家のブログです。 日蓮や仏教の事について、日々考えていますが、その事についてはこのブログとは別に、「想学談林」というホームページにまとめています。 ここでは日々に考えた事についてつらつらと書き連ねています。

【20180305】教学の学び方

こんにちは(´・ω・`)

開目抄に取り組んで、まもなく三週間になろうとしています。
平日にはあまり進める事ができず、いきおい土日で進めようと思い取り組んでいますが、これがまた結構難しい事で、家族には少し奇異な目で見られていると思います。

なんたって、パソコンの前にかじりついて御書を見ながら、言葉を調べながら進めているので、一体うちの親父は何が面白くてパソコンの前にかじりついているのかと考えている事でしょう。

この開目抄は、創価学会の中でも比較的に読まれている御書だと思うのですが、正直、僕が青年部幹部時代に読み込んだ事はありません。創価学会の教学資料などで「人本尊開顕の書」と教えられ、終盤にある「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ」という御文から、これが「主師親の三徳」を表す言葉であり、日蓮大聖人が末法の御本仏である事をあかした御書だ、位でしか聞いた事がありません。

青年一級の教学を貰っている僕が、その程度なので、多くの会員や活動家などはそれほどの意識すらしていない御書なのかもしれないですね。

僕は十年以上前に、創価学会に様々な疑問を持った時、その根源的な原因とは創価学会にある思想的な問題だと感じていました。だから創価学会の教義やその周辺に関して、再度学びなおしをする必要があると考えた事から、以降は日蓮の御書や歴史関係について、学会書籍や指導などに頼らず読み進めてきました。

そんな中で「ではどの様な情報を元に学んでいるのか」という疑問は、よくぶつけられてきた事ですが、僕は僕なりに様々な書籍を読み漁り、その中で考え続けているという感じです。

それは小説家の書いた文献であったり、他宗派の人の書いた書籍であったり、まったく関係ない学術的な書籍であったりします。要は自分自身の思考の糧になると自分で判断した書籍等には目を通して来ました。

ではこの様な学習方法で、日蓮の何が解るのか、仏教の何が解るのかという事ですが、それは最終的には自分自身の中にどれだけ納得する要素を構築できるかという事に尽きると僕は考えています。

いま読んでいる「大乗経典の誕生」(筑摩選書、平岡聡 著)には以下の釈迦の説話が載っています。

遊行の途中でブッダはカーラーマ族が住むケーシャプトラ村に立ち寄ると、そこの住人はブッダに「ある沙門がここにやってきて自説こそ正しいと述べ、他説をけなします。一方、他の沙門が自説こそが正しいと述べ、他説をけなします。いったい、どの説が正しく、どの説が間違っているのでしょうか」と悩みを打ち明けた。それに対しブッダは「そのように迷うのも当然だ」と前置きしてつぎの様にのべる。
「カーラーマ族の者たちよ、お前たちは、噂、又聞き、伝え聞きを信じてはならぬ。三蔵に合致しているからというだけで信じてはならぬ。思慮したからというだけで信じてはならぬ。道理があるからというだけで信じてはならぬ。ある見解や熟慮に基づいて容認されたというだけで信じてはならぬ。説者の容姿が優れているからというだけで信じてはならぬ。沙門は我々の師であるからというだけで信じてはならぬ。カーラーマ族の者たちよ、お前たちは、この教えは不善である。この教えは誤りがある。この教えは知者に避難されている。この教えは了得し受持しても無益であり、苦の滅には役立たないと自ら判断したとき、カーラーマ族の者たちよ、お前たちはそれを捨て去るがよい」

これは教えを盲目的に信じるのではなく、あくまでも自分の理性に基づいて「自ら判断する」という事の重要性を示した説話だと言われています。

創価学会の書籍は万全でないのは当然として、それではほかの宗派の学僧や、他の見解を持つ学者の学説が正しいのか、それは解りません。

しかし、その時、その時の自分自身の理性と照らし合わせて、是は学ぶべき事があると思えばそれを学べばよいし、これは無益だと思えば学ぶ必要はないのです。

また「自分自身の理性」というのも、時と共に変化していきます。ある時は深くなることもあるでしょう、またある時には理解が浅くなることがあるかもしれません。自分自身の理性というのも常に変化をしているものです。

しかし、その時その時、自分自身が「学べるものがある」という事を感じながら、様々な文献等にふれて思索を進めて行く事が、とても大事な事であると僕は考えています。

そもそも教学を何故学ぶのか。
それは自分自身の為であり、自分自身がそれで新たな見識を得れるのであれば、自分自身が縁した人達にとって、少しでも有意義な事が語る事、また生活を通して接する中で、与える事が出来るのではないでしょうか。

その為に僕自身、御書に取り組み関係する文献に今は取り組んでいるのです。

創価学会の問題。
信濃町界隈の悪を指弾して、会員活動家の非常識を指摘する事も大事かもしれませんが、それ以上にこういう「自分自身の学び」が大事だと、僕は考えているのです。

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