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想学談林―管理者のブログ

50代に突入した創価学会の元活動家のブログです。 日蓮や仏教の事について、日々考えていますが、その事についてはこのブログとは別に、「想学談林」というホームページにまとめています。 ここでは日々に考えた事についてつらつらと書き連ねています。

【20180208】一念三千と宿命転換

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

福井の方の豪雪、大変でしたよね。
早く春にならないものでしょうか、毎朝布団を出る度に思います。

さて今回はTwitterで頂いた質問をお題として記事を書かせて貰います。
こうやって質問を頂き、人に対して説明するために考える。これはとても有用な事です。
どんどん質問を貰えたら、その分、僕自身も考えられるので、ありがたいと思ってます。

今回、頂いた質問は以下の事です。

浅はかな知識で間違ってたらすいません。一念三千の理論からいうと常に心は一瞬たりとも止まることなく変化してるので、宿命転換などあり得ない気がしますが、どうでしょうか?相対的幸福も味わってない学会員が多く感じるのに絶対的のが上というのもおかしいかな・・・

日蓮の御書には、
「されば経文には一人一日の中に八億四千念あり念念の中に作す所皆是れ三途の業なり等云云、」
(女人成仏抄)

という記述がありますが、人はある時に考えた事が次の瞬間には別の事を考えていたりします。

これは人の性と言うように、一つの思考に留まる事ができず、直ぐに良い方、悪い方に心が動き揺れていきます。

一念三千とはご存じの通り、天台大師の考案した教理ですが、これは人の心の動きの激しさと言うよりも、奥深さを表したものだと思います。

十界互倶というのは、地獄界から仏界までの十界には、それぞれ十界を備えるという事によって、例えば苦しみの中にあっても人は、他人のために献身的になれるという事もあるし、菩薩の様な心であっても、そこには畜生の様な心を持つことがあるという事の表現なのでしょう。

この様に人の瞬間瞬間の心、これを一念と呼びますが、要は一筋縄で捉えられないものであると言うのです。

また仏と言っても、その働きが前面に出る場合もありますが、それぞれの心の働きの奥にも仏の働きが隠れているという意味もあるかもしれません。

また十界論というのも、天台教学で語られたもので『仏祖統紀』という書に述べられていますが、出自はともかく天台大師の卓越した理論だと思います。

さてご質問はこの様に揺れ動く心を持つのに、人は創価学会の言うように宿命転換なんて出来るのかという素朴な疑問だと感じました。

創価学会がこの「宿命転換」という言葉を紡ぎだしたのは、幾つかの日蓮の言葉があるようですが、その一つを以下に紹介します。

「先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天三乗一乗の益をうる事の候、不軽菩薩の悪口罵詈せられ杖木瓦礫をかほるもゆへなきにはあらず過去の誹謗正法のゆへかとみへて其罪畢已と説れて候は不軽菩薩の難に値うゆへに過去の罪の滅するかとみへはんべり」
(四条金吾殿御返事)


これは法華経を信じることで、本来遠い未来に渡り苦しまなければならない事を、この人生に呼び寄せて、軽く受けること。これは転重軽受とも呼んでますが、その後は「人天三乗一乗の益をうる事」とあるように、幸せで安穏が待っているという事で語られてます。

「苦しみ=過去の宿業」というのを法華経により、呼び寄せて軽く受け、「ぱときえて」幸せになる。

だから宿命転換という言葉になるんですよね、多分。

何故、多分と言うかといえば、もともと仏法には「宿命転換」なんて言葉はありません。あくまでも創価学会製の用語です。

本当に創価学会で信心やれば、今ある苦悩は全て霧散して解消するのか、その後はかならず幸福になるのか。

そんな事あるわけ無いでしょう。

人生なんて山登りみたいなもので、一つの峰を越えたら、そこに新たな峰が出てくるものなのです。

創価学会でそもそも言っていたのも、絶対的幸福境涯とは言っても、本来苦しむ処を、生命力つけていけば、楽に乗り越えられるという事でしたよね。これはつまり人生には苦難が付き物で、その苦難に押し潰されない自分を確立する事を提唱してましたよね。

日蓮も先の御書とは違う手紙では「苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経と唱える事が自受用法楽だ」と四条金吾に語ってました。

また創価学会の中でも体験発表した人が、新たな苦難に直面して苦悩する姿を、僕は沢山見てきました。

そこから考えれば「宿命転換」という言葉は、励まし的な言葉でしかなく、それこそ山登りで「ほら、あの峰を越えたら頂上だぞ!」ていどのモノだと理解すべきです。

よくあるじゃないですか、山登りでそう励まされ、峰を越えたらより高い峰が目の前に広がっていたという話が。

だから宿命転換なんて言葉を真剣に捉える必要はありませんし、そんな事を信じて活動に振り回されてもいけないのです。

あと一つ、創価学会の云う幸福観は変だということを書きますね。

幸福には「相対的幸福」と「絶対的幸福」の二つがあるという観点、これは紛れもなく牧口会長の「価値論」による言葉です。

この価値論でいう幸福とは、仏法でいう「天界」を目指すに過ぎません。
天界とは肉体的な喜び、物質的な喜び、精神的な喜びの三つがあると言われています。これを欲界、色界、無色界と言いますが、喜びは天界だと言われてます。

また喜びは常に他者との比較に依って感じるものではなく、自分自身の中から湧き出でてくるモノは当たり前の様にあるわけで、世の中の幸福観を単純に二つに分類して語れるものではありません。

法華経で説かれている「久遠実成」という事をよく考えてみれば、五百塵点劫という長遠の昔に成仏した釈迦は、各種の仏法説話にあるように、ある時は喜び、ある時は苦しみ、またある時は嘆き悲しみながらも、常にこの娑婆世界に生まれてきた事が述べられてます。

これが「相対的幸福」とか「絶対的幸福」なんて言えませんよね。

僕なんかは人生の目的は、生まれてきた事それ自体であり、そこで悲喜こもごも様々な経験をする事だと考えてますので、もう創価学会が煽り立てる様な幸福観には興味はありません。

まあそもそも仏教の発端も「四苦の超克」にあるわけで、そんな価値的な観点からの幸福なんて求めるものではないと考えています。

想うに今の創価学会の活動家達が、なぜ信濃町界隈から思うように利用されているのか。そこの根本には、ご質問にあったような「創価学会的幸福観」があるので、そういった事からそろそろ離れた方が良いと思ってます。

僕はそんな風に考えています。
宜しければ、ご一考のほど、宜しくお願いします。

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