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想学談林―管理者のブログ

50代に突入した創価学会の元活動家のブログです。 日蓮や仏教の事について、日々考えていますが、その事についてはこのブログとは別に、「想学談林」というホームページにまとめています。 ここでは日々に考えた事についてつらつらと書き連ねています。

【20180206】仏法と輪廻転生、霊魂

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

ちょっと今日のお題はぶっ飛んだ感じもしますが、ご勘弁を。
「一念三千理事」は間もなく読了するので、このブログではなく本サイトの「想学談林」に掲載しようと思ってます。

そんな中、Twitterでリツイートしましたが、「生まれ変わり」「輪廻転生」の事を扱っていた番組動画(アンビリバボー)を見ていて様々な事を考えています。

先の一念三千理事には倶舎論が多用されていますが、この論にも興味が湧きましたので、今後読んでみたいと思ってます。

輪廻転生では「自我」が三世にわたり存在し、生々世々において名前があり、そこでの行動が業として蓄積されながら、生まれては死に、また生まれては過去の業の果報を受けながら生を引き継いでいくというものになっていて、その大本は婆羅門教にあると云われています。

先の一念三千理事の冒頭には十二因縁という教理が書かれていましたが、ここで語られている人が苦を受ける理屈の元は婆羅門教であったのかもしれません。

この輪廻転生の考え方に合わせて霊魂説がありますが、仏教において霊魂の存在は否定されています。しかし過去のテレビ等で形は仏教僧でありながら、先祖霊だ因縁霊だを得々と語っている御仁が居たのには驚きでした。

霊魂を否定している仏教の僧が、その霊魂を語るんですからね。

僕は個人的にこんな怪談めいた話は好きなので、また別の機会にこの霊魂とかいう考え方について記事を書いてみますが、今回はここまでとして、話を戻します。
果たして人間は死んだらどうなるのか、また生まれるというのはどの様な事なのか、少し書いてみたいと思います。

ここで語るのは飽くまで今段階の僕の我見なので、適当に読んで下さい。

人は人生に於いて、様々な行動や言動、また考えを常に起こしていますが、これらは全て記憶に蓄積されるのでしょう。これは仏教にある「身口意の三業」という教説そのままだと思います。

これらは最終的に、心の奥底、唯識論派でいう阿羅耶識へと全てが残るのでしょう。
最近では臨床心理学等で活用されている逆行催眠等で行う「前世療法」で、人が過去世の事を語るのも、こういった心の働きによるものだと思います。

また心理学者のユングが語る「深層心理」の中にあるという、人類共通の記憶という事も、ユングは遺伝と言ってますが、僕はこの阿羅耶識の働きだと思ってます。

人間の死という現象も、人間の要素、仏法では五薀とも五陰とも呼んでますが、色・受・想・行・識を維持することが出来なくなった時点で訪れるものではないでしょうか。そしてこの死の際に、生命は阿羅耶識以下を残して、末那識より表面は消え去るのでしょう。この時に体験するのが、いわゆる臨死体験という事なのかもしれません。

ここで話は変わりますが、昨今、欧米などを中心に考えられている事に、臨死体験等を通して輪廻転生観があります。

これは過去にも紹介しましたが、「現代の神話、輪廻転生(Between Life to Life)」の著者、J・L・ホイットン氏も語っているもので、それは霊性の成長の為に、生命とは輪廻転生を行うという事です。
この事は故・キュブラー・ロス女史や最近では自身の臨死体験を通して、話題を起こしたアメリカの脳外科医、アレクサンダー・エベン氏も同様な事を語っています。

しかし十二因縁もそうですし、仏教全般では、この様な観点で人間の生死は語ってません。
仏教においては、生命は遠い過去から未来永劫にかけて、生死を繰り返すものと云われています。

昨今では「魂の霊性の成長のため」という人生の目的を、仏教においては生死を繰り返す事と述べ、久遠実成を説く法華経に於いては、人は元来仏であり、その生死を繰り返しながら、法を求め人々を教化しその法を広める事が目的だと述べています。

日蓮は「自受法楽」と呼び、苦楽ともに思い合わせてお題目を唱えていく事が、この人生の目的だと語ってますが、昨今の考え方とは微妙に異なってます。

僕なんかは「魂の成長説」には共感を覚えますが、どちらかと言えば「魂の経験説」という事を考えてしまいます。

これは「神との対話」にも出てきますが、この著者であるニール・ドナルド・ウオルッシュ氏の「対話の記録」に基づけば、神と人は同じだと語り、大雑把に言えば神が様々な経験をするために個々の自我を設けたと言うのです。だから神と個々の生命は同質であり、異なるものではないと。

また個々の人と皆は理解しているが、実際には同じであり、他者でありながらそれは自分であり、他者でもないと言います。

これはとても興味深く、九識論でいうところの九識心王がこの神にあたり、ここの自我とは記憶(経験)がつまった阿羅耶識と解釈を与えると、なかなか共通した事が見えてきたりします。

この輪廻転生について、他の文献では「チベット生と死の書」などもあり、それを読むとまたまた興味深い事が書かれていますが、それはまた別の機会に。

ただこの輪廻転生と人の生死、考察するとなかなか興味深い事が見えてくるもんですね。

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