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想学談林―管理者のブログ

50代に突入した創価学会の元活動家のブログです。 日蓮や仏教の事について、日々考えていますが、その事についてはこのブログとは別に、「想学談林」というホームページにまとめています。 ここでは日々に考えた事についてつらつらと書き連ねています。

【20180128】御題目に力はあるか

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

Twitterをやっていて、質問を頂くことは実はとてもありがたいことだと思ってます。
何故ならば、自身の思索をまとめるきっかけとして、こういった質問を元に考え、まとめることが出来るからです。

ただ法華講の人からの質問は嫌ですね。
何が嫌かって、創価学会の罵詈活さんと同じで、自分が信じている大石寺の教えが完全無欠だと信じて、その反論の為に質問をぶつけて来ることが多いから。

という事で、今回は以下のご質問に対しての、僕の考えについて書かせてもらいます。

毎回質問ばかりですいません、題目で能力は誰でも引き出せますか?南無妙法蓮華経じゃなきゃいけないのでしょうか?

「罪として滅せざるなく、祈りとして叶わざる無しの御本尊」

創価学会の幹部は良く言いますよね、この言葉。この言葉の原型は日寛師だと思いますが。

僕の処にも過去に相談メールが来て、幾人か面談したことがありますが、その大半は人生の苦悩の中にいて、この言葉を信じ、それこそ何十時間も仏壇の前に座り、必死に御題目をあげ、結果、祈りが叶わなかったとか、叶ってもそれによってもっと苦しい状態になっしまった人達でした。

「なぜ御本尊に祈って叶わないのか、これだけ御題目を唱えても叶わないのか!」

そんな事を僕にぶつけてくるわけです。
僕は地元組織で相談はしたのかを尋ねると、対外以下の事を地元幹部にいわれています。

「それはあなたの一念が足りないから」
「もっと御題目を称えなさい、まだまだ御題目が足りないのです」
「御題目だけを唱えていてはダメ、もっと学会活動にも取り組まないと」

それを言われた人は、それこそ藁をも縋る想いで、その言葉にしがみつき、更に御題目を唱え、学会活動に取り組みますが、結果、思う様な状況にならずに僕に相談をしてきます。
もうこういう状況では、簡単な言葉は相手に刺さりませんし、僕は聞き役に徹するしかできなくなります。

まったく不甲斐ない話なんですけどね。

さて、創価学会の活動家幹部などは良く口にします。
「御題目には力がある。だから御題目を唱えていくんだ。」
でも御題目に力があるというならば、日蓮宗各派の御題目や顕正会の御題目、立正佼成会も御題目を唱えるので、いずれの組織の信仰においてもく功徳(御利益)爛漫となるはずです。

その事に関しては、創価大学の宮田教授も最近の講演で認めていた事です。
でもそうなると御利益が欲しいのであれば、創価学会に何も固執する必要はありません。

でもそういった日蓮宗各派とか顕正会であっても、御利益体験があったりなかったりします。

また以前から述べている事ですが、いわゆる「御利益体験」とか「不可思議な体験」は創価学会や御題目だけの専売特許では無いのです。

それが何より証拠には、キリスト教でもイスラム教でも、その他多くの宗教や信仰においてもある事です。

この事から僕は「祈りを叶える」とか「自分の能力を引き出す」というのは、人間本来持ち合わせている能力であり、そういった能力を引き出すのは御題目という事では無いと考えています。

自分の願望を成就させたい、いまある問題を解決したい。
そういった事を可能とする能力、乗り越えられる力というのは自分自身に潜在しているものであって、御題目を唱えるという「助縁」によって引き出されるという事ではありませんか?

創価学会を信じている人は創価学会の御題目。
日蓮宗を信じている人は日蓮宗の御題目。
顕正会を信じている人は顕正会の御題目。

そういう事で自身の中の能力が顕現した時、所願満足、問題解決という事になっていきます。
要は「祈り」をきっかけにして、そういった能力が顕現してくるのであって、だからキリスト教や他の宗教においても「奇跡体験」というのがあるわけです。

「南無妙法蓮華経じゃなきゃいけないのでしょうか?」

という御質問ですが、そのことから別に御題目である必要はありません。
自分自身が信じている信仰であり、その祈りであればそういった能力は顕現してくるのであって、別に御題目である必要は無いのです。

ここで重要なのは信じている「祈り」であり、何か特定の祈りだという事ではありません。

これば御質問に対する今の僕の回答です。

ただこの祈りというのは、非常に悩ましい事を包含しています。
本来、自分自身で持っている能力なのですが、それが特定の宗教によって引き出され「信仰体験」をした場合、その宗教による呪縛はとても強力なものとなります。

創価学会で「信心の確信」をつかんでいる人であれば理解できる事でしょう。
でも間違えてはならないのは、その力は自分自身の中にあるものであって、信仰は宗教はそれを引き出す切っ掛けでしかないという事を知るべきなのです。


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