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想学談林―管理者のブログ

50代に突入した創価学会の元活動家のブログです。 日蓮や仏教の事について、日々考えていますが、その事についてはこのブログとは別に、「想学談林」というホームページにまとめています。 ここでは日々に考えた事についてつらつらと書き連ねています。

【20180410】考えるべき事

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

いやはや、この世界の動きようとは、そのに住む一人ひとりの思いとは別な方向に進んでしまうものなんですね。

太平洋戦争終結時、日本はGHQの指示の下で武装放棄をして、戦争という国の行う行為を禁止しました。
この九条の考え方は、マッカーサーの理想から出たのか、はたまた明治維新後から国権の行為として、常に戦地に追いやられ、多くの悲劇と共に疲弊した当時の国民の総意もあってか、日本国憲法に組み込まれたのでしょう。

ただし当時の国際情勢は、そんな日本の想いとは裏腹に、アメリカとソビエトの思惑が既に蠢いていて、実際にマッカーサー自身が朝鮮戦争で苦境になったとき、日本を軍事的に動かそうとしても、この憲法九条が足枷になり、表だって動かす事が出来なかったと言います。

また戦後間もない頃、既にこの国際情勢を理解していた昭和天皇は、当時の吉田内閣の頭越しにアメリカへ打診、要は武装放棄をした日本をソビエト等の侵攻から守るのはアメリカに頼るしかないと見ていたようで、それが後に「日米安保条約」へと進んだという話を聞いたことがあります。

とにもかくにも、この日本は戦後七十年の間、人類史上類を見ない「平和国家」という形で、戦争に巻き込まれることなく、ひたすら経済優先の国家運営をしてこれました。

その為に日本は、経済的にも世界有数の富裕国にもなり、人々は戦争という、人類の業の様な事を直視せずに生きてきたのです。

しかし昨今、この状況は少しずつ変化をし始めてます。

まず世界の警察を自負するアメリカが、日本に対して軍事オプションの拡大を求めてきています。安保法制をめぐる動きの背景には、僕はこのアメリカの意識の変化を感じています。

これは決して日本の政治家や官僚等が望んで動いている事ではないでしょう。
今の日本では、政治家や官僚が望んだとしても、アメリカ軍からの圧力により、その方向にしか動けないのではありませんか?

この仕組みの一つが、日米安保条約のもとで、日米地位協定を運用するために設けられている「日米合同委員会」であり、そこには日本の各省庁の局長クラスがアメリカ軍との協議の為に参加していると言います。

以前にも書きましたが、民主党政権時代、鳩山総理が米軍基地の県外移設を唱えたとき、時の総理府をはじめとした官僚組織にスポイルされたことを明かしました。

「彼らは総理大臣を向いていない」

これが当時の鳩山氏の率直な感想だと言うのです。

この事について、日本の大手マスコミが触れることはありません。また国民も興味が無いようです。それが証拠に国民の大多数が、そういう国の仕組みの現実を理解すらしていないではありませんか。

日米合同委員会を始めとして、横田空域の事もそうです。

以前にTwitterで呟いた際、「日本の航空機は横田空域でも平気に飛んでいるではないか、何が問題なんだ!」というコメントを貰いました。

そりゃそうでしょう。今は平時ですから、そんな日本の航空機を阻害することをアメリカ軍の横田基地がするわけがありません。

問題は有事の際、日本には領空の管制権が無くなる危険性を危惧する訳で、そういう観点を持てない日本の国民が危険ではないのかと云う事なのです。

また世界は東西冷戦終結により、平和な社会になっていくという幻想を持ちました。しかし今となっては民族主義、民族浄化(エスニック・クレンジング)、宗教間の対立等もあり、東西冷戦時代よりも世界が不安的化しています。

また北朝鮮に代表される核拡散も大きな懸念の1つです。
また中国も第一次列島ライン(沖縄諸島)、第二次列島ライン(小笠原諸島)を定め、海洋強国を打ち出して軍事力を強化、海事警察を海軍指揮下に置いたことも、先日、報道されてました。

そんな時代の中、これからの日本は、どの様に生きていくべきなのか、日本人として真剣に模索をしなければならない時代であり、その人類社会で日本はどの様なたち位置で振る舞うべきなのか、真剣に考えなければいけない時期に来ています。

もう旧来の「安逸の七十年」の考え方は、通用しない時代になっています。

ネットでは、今の創価学会に疑問を持つ人が、以下の名誉会長が過去に行ったスピーチを引用していました。

名誉会長「私が心配するのは、これを突破口にして憲法改正に入ろうという考えがみえることだ。基本法の見直しを改憲につなげようという政治的思惑には絶対反対する。教育を国家主義的な方向へと逆行させることはあってはならない」
西日本新聞 2001年12月4日 
対談2001 池田名誉会長


日本で最近話題の「憲法改正」の議論。
「自衛隊を憲法に明記する」と言いますが、単に明記するだけなのか、それとも他国の軍隊同様に国際法の中で動ける組織にするのか、そこが明確ではありません。

他国において、国家を守る軍隊は国内の治安法の枠外と定められ、独自の司法組織を持ちます。それが軍法会議であり憲兵という組織になります。また他国に於いてはそれだけ酷しい状況で活動する軍人には敬意が払われてもいます。

そういう軍事オプションを日本として正式に持つのか、持たないのか、そういう議論が今の日本ではまったく為されていません。

また軍事というのは外交に深く関係してきます。背景に軍事オプションを持たないのは、それなりにマイナス要因が出てきます。

持たないで行くなら交渉に長けた外交官を、育成する必要があります。しかし今の日本にはそれだけの力量を持った外交官がいるとは思えません。

どちらにするつもりなんでしょうか?

「今までも日本はやって来たから、自衛隊を殊更憲法に明記する必要もないし、外交も今のままで行けるだろ?」

こういう人が居るかもしれませんが、今までは軍事オプションをアメリカ軍に依存し、その結果が沖縄の諸問題にもなってますし、北方四島が返還されないという事にもなってます。そもそも竹島を韓国が取ったのも、日本が武装放棄をした直後でした。

これが軍事オプションを持たないマイナス要因により起きている事では無いのでしょうか?

中国では尖閣諸島に警備艇が入り込み、領空侵犯で航空自衛隊のスクランブルも増加しています。韓国や北朝鮮も今後、どの様な変化をしてくるのか解りません。

その様な周辺国の状況の中で、果たして今までのようなアメリカ軍の傘の下で良いのかという事を考える時期に来ているのではないか?

僕はその様に思うのです。

それを単に「国家主義だ」「右傾化だ」というだけで、果たして目を瞑っているだけで良いのでしょうか。

因みに創価学会では小説・人間革命でマッカーサーを「梵天君」と呼び、戦前の日本の軍国主義に初代、二代会長は殺されたと言いますが、それもそんな「法に殉じた」という話ではありません。

そもそも日本は自国の行った太平洋戦争自体を、自国として総括すらしていないではありませんかね?

何故、軍部の暴走を止められなかったのか。何故、あの様な愚かで杜撰な戦争をせざるを得なかったのか。

総括すらしていないので、日本として何らあの悲劇の原因すら理解せず、ここまで来てしまったという事も問題でしょう。

こんな時なのに、与党公明党の支援者である創価学会は、御大の過去の箴言だけを頼りに、国のあり方を論じるしか出来ない。

そんな事は今は何の役にも立ちません。しかし創価学会に関係した多くの人が、そのレベルという現実も薄ら寒いですよね。

いま一人ひとりが考える時に来ています。よくよく自分の目と耳で得た情報で、考えて欲しいものですね。

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