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想学談林―管理者のブログ

50代に突入した創価学会の元活動家のブログです。 日蓮や仏教の事について、日々考えていますが、その事についてはこのブログとは別に、「想学談林」というホームページにまとめています。 ここでは日々に考えた事についてつらつらと書き連ねています。

【20180627】夢か現かいつも思う

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

平家物語の敦盛の抄の「人間五十年~」という時代であれば、とっくに霊山に戻っている年齢だよなと最近思うことがあります。

小さい頃、何かと変な夢を見ては目が覚めて、現実ではなく夢だったことを実感し、胸を何度も撫で下ろしたりもしました。

でも気のせいか、この年齢になると子供の頃の夢と現(うつつ)に対しての感じかたに変化が有るように思うときがあります。

なんて言うか、子供の時や若いときには、目が覚めたら「おお~目が覚めた」と直ぐに実感したものですが、最近、朝目が覚めた時に、その境界線的な感覚が少しボケてきている感じがするんですよね。

これは年齢的な事なのか、それとも疲れが溜まっているせいなのか。僕にはよく分かりません。なにせ疲れが直ぐに取れなくなっているのもありますからねー。

「如来は如実に三界の相を知見す。生死の若しは退、若しは出あることなく、亦在世及び滅度の者なし。」
(妙法蓮華経 如来寿量品)


ここで仏は三界(欲界・色界・無色界)の姿を確実に知り理解していると言い、生まれる事と死ぬ事は、若しは退き、若しは出現する事でもないし、そこには仏の在世とか滅後の者もいない。と述べています。

僕は仏の姿としては久遠実成の釈尊であり、それぞれの経典に説かれている諸仏と認識してますが、その実体とは一人ひとりの心の中に存在するものだと考えています。

だから端的に言えば人生とは生まれてから死ぬまでの間という事を指すのかもしれませんが、そもそも生まれるとか死ぬという事はなく、それをこの心の奥底にある実体から見たら、まるで周囲に展開される風景の切り替わりの様なモノでは無いかとも思うのです。

しかしこればかりは、死んでみなければ分かりませんけどね、本当の処は。

しかしこれは僕の場合、恐らくここ二十年から三十年の間には、確実に経験する事であり、その場になったら、この現(うつつ)の世界の事をどの様に感じるのでしょうね。

だって自分の意思に関わらず、この「現実と言われている」世界の中からは、少なくとも居なくなってしまうわけですからね。僕個人の意識はともかくです。

夢と現(うつつ)。
これはとても不思議な話だとおもいませんか?

そんな事を考えているのは、僕だけなんですかね。

今回はとりとめ無い話でした。

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